進歩というのはしていなくて、社会の変化に適応して生きていっているだけ
上の文章は正確に聞きとったわけではないが、こういった内容のことを言っていた。どこで聞いたかというと最近どハマりしているポッドキャストのコテンラジオで、言っていた。
なんか最近、どんどん新しい技術が開発されていき、便利の追求をし続けている気がする。ある一定までは便利になったほうがいいという点と、これ以上は新技術が発明されても幸福度や満足度が変わらない点がある気がする。
それがもはや、今なのでは?
相当なことが十分に便利であることは皆わかっていて、これ以上はあったいいな、とは思うが、なくてもなんの不自由もないと思う。
だからこそ最近は、『田舎回帰』というようなことが叫ばれているのかもしれない。研究者でもなんでも無いので、ま〜ったく因果関係もなにも分からんが。関西方面流でいうと「知らんけど!」ってやつやな。
進歩というのは、必ずしなければいけないものなのか、やはり適応してきただけなのか。もう適応の領域ではないような気もするが、それは自分がそのレールから外れてしまっているだけで、先進を追い求めている層からしたら、通常のレールなのかもしれない。なんとなく進歩をすることで争いもあるような気がしている。マルクスの資本論見直しもそういうことも原因かもしれない。
実際に狩猟採集をしていた時代から農耕主体に変わったが、狩猟採集時代の方が、幸福度が高かったという説もあるらしい。
今一度、生きていく根本に立ち返って、考えていくべきかもしれない。もっとコンパクトにやれることやっていこ。