賃貸物件を見てて、ふと1つの場所に目が止まった。『電話台』だ。今、家の固定電話を使っている人はどのくらいいるだろうか。携帯電話が普及し、スマートフォンがさらにそれを塗り替える。

連絡先を教えてもらう場合、もうほとんどが携帯の番号。『携帯』っていう言葉も不思議やな。電話を付けなくても皆が理解できている。最近、ポッドキャストにハマっていて、ゆる言語ラジオという番組をよく聴いているが、後ろ省略パターンの言語がよくあるらしい。
おっと、好きが高じて脱線してしまった。
以前、新築の営業をしている時は必ずといっていいほど、電話台や電話を置くスペース、電話配線を間取に配置することを考えて提案していたな。会社や店舗等、ご年配の家以外にはもうないのでは?これだけ、固定電話業界に携帯電話業界が席巻して、淘汰していったということなんだろう。もはや、連絡先は携帯の番号でOKという時代だと思う。
しかし、会社や店舗等は、携帯電話だとなぜか不安が生じる。ここもいづれは携帯番号に代わることもあるんやろか。なぜ、携帯番号だと不安なんだろう。やはり、『携帯番号は個人』という概念を突破できない、ということなんかな。ただ、なにかしらの形で変わっていくだろう。そもそもメールや予約フォーム、SNSから連絡という風に直接電話自体も減っているから、直接の会話をいろんなツールでやっていくのが普通という時代が先に来るのかもしれない。
「昔は、直接電話して予約取っていたんだよ。」
なんてことを娘に言う時代が来るんかな。
しかし、家だけでみても色々と当然だが、変わってきている。例えば、床の間、仏間、応接間などなど。昔は、小便器と大便器と2つあるところも多かった。自分の実家もそうだった。そして、和式便所。これももうほんと見ない。実家もこれを様式に変えるときに小便器が消えた。
これからの可能性は、リビングにテレビがなくなるかもしれない。もうすでに自分の周りでテレビ自体を持っていない家庭がとても多い。当たり前にそこにあるものって、ふと客観視した時に、なぜそれが必要だったのかと気づくこともある。テレビなんかはほとんど惰性で付けていたり、あまり面白くないな〜と思いつつ、とりあえず付けているというところも多いだろう。家でもテレビを消している時が多いが、その時に聞こえてくる環境音が意外と多いことに気づく。冷蔵庫の音や換気扇の音、風の音や鳥の声。
当たり前を疑うことで見えない殻を破れるのかもしれない。