宝来町にある元洋裁学校の校舎。
宝来町に昭和13年に移ってきてから、ちょうど80年。
ずっと住み継いできたが、ついに『つなぐ者』がいなくなり、託された。
内部を見て一目で、これは『つなぐ者』を探さなければならない衝動に駆られた。
幸いにもすぐ見つかった。
やはり、中の雰囲気もさることながら、大事に守ってきたことが
中に入るとひしひしと伝わる。
床も当時の木材だが、静かに黒く光っている。
ずっと、『おから』で磨き続けてきたという。
黒く光らせるが、滑らないらしい。
先人たちの知恵には、頭が下がる。
齢90になっても続けてきたという。
契約自体は、少し前に完了していたが、
中のものを片付けるのに時間をかける為、今までかかった。
人の年輪が重なるだけ、物も増えるということだろう。
生活品等は処分をしたが、新しく『つなぐ者』である新所有者が、
できるだけ古くからあるものを残してほしいとの希望から
昔のタンス等含め、残した。
やはり、いいものはいい。
昔のラジオ。雰囲気は抜群。
旧五稜郭タワー。懐かしい。
お茶の道具もたっぷり出てきた。
これは、昔の電話が掛けられていた板。
電話が撤去されているのは残念。
この鏡は建築当時からあるものだという。
昔の薬箱。
そして、本物の『富山の薬売り』からのものらしい。
この『書』は、当時の市長が書いたもの。
他にも今はあまり見ない。
当時の雰囲気が残るものが多数。
こういった文化遺産ではないが、
函館にとっては確実に『残すべき遺産』が
受け継がれることになった本当に良かった。
今後の展開も含め、新所有者とは話し合いを続けていく。
より良きものとして今後に残していきたい。