地方の市町村に唯一あるスーパーが相次いで閉店をしている。
『少子高齢化による売り上げの減少と大型店への顧客流出』が原因という。
まあ、そうだろうな。
と思う気持ちと寂しい気持ちもあるが、
ふと自分の幼少期を振り返ってみると、
野菜や果物は『八百屋』へ行き、
魚は『魚屋』、肉は『肉屋』、お酒は『酒屋』と
いわゆる専門店に親と行ったものだ。
今思えば、暗い店内の魚屋に買いに行って、
「しじみちょうだい」
というと、しじみのみの幅の広い生け簀?みたいなのがあって、
そこからすくってもらって買っていたのが思い出だ。
今や個人スーパーの減少というが、
当時はそういった専門の小売り屋が、スーパーの進出によって、
淘汰された時代だったのだろう。
小さい頃は当然、コンビニもなかったし、
チェーン店やフランチャイズも当然無かった。
俺が田舎もんやからかな…。
全国区のものと言えば唯一、マクドナルドが楽しみだったかな。
徳島県の自分が生まれた家は、現在、人に売却したから、
もうそこに入ることもないだろう。
それも徒歩圏で行ける唯一のスーパーが無くなり、
バスも非常に不便ということで、親も高齢になり、
引越を考える結果となった。
被害というと、大袈裟だが、影響を受けた
家庭の一つであることは間違いない。
ただ、そういった専門の小売り屋を廃業に押しやったのもスーパーだ。
肉も野菜も魚も、なんでもスーパーに行けば買える。
当時としては、当然画期的だし、便利。
使わない手は無い。
この頃から人と人がコミュニケーションを取って、
買い物をすることが減っていったのだろう。
そして、バブルに突入。
このスーパーの相次ぐ閉店の記事も
時代の潮流の一つでしかないはず。
なんといっても、『トイザらス』が破綻するのだから。
全国のおもちゃ屋を廃業させた世界のメガチェーン店が
店舗ももないインターネットに屈する。
これからも『AI』『Iot』『ICT』
と聞きなれない言葉がどんどん出てきて、
分かった頃には、仕事がロボットに取られている、
なんてこともあり得る。
農業機械もこれからは自動化するという。
しかも、3年後。
あっという間だ。
生きる為には知恵を絞って、
『生きる力』を養っていかなければならない。
そして、もう一度、人と人のコミュニケーションを
思い出すべきなのではないだろうか。
ちょっと用事があれば、隣近所に子供を見てもらうのが当たり前、
醤油が切れたら、隣に貸してと言いに行く。
街の目があった時代のほうが、犯罪が少なかった。
犯罪を無くす為にプライバシーを保護しよう、
などと言って、他人を排除した結果がコレでは本末転倒。
というか、誰が個人情報が云々と言い出したのだ。
ドイツでは、10万人を超すと大都市だという。
3万人くらいの都市もたくさんあり、しっかりとした機能を持っているし、
有力なフォルクスワーゲンなんかも大都市に構えているわけではない。
そのくらいの小さなコミュニティが、しっかりとした生活を送る
コンパクトな造りをしてもいいと思う。
函館も街を西部地区、駅前、本町、美原、湯川と5つくらいに自治区に
分けて生活が成り立つように商店街を作って、
盛り上がるといい街になる気がする。
そして、また、専門のお店を復活させていきたい。
「今日はどんな魚入ったの?」
「ほうれん草がおいしい時期になってきたね」
なんて、会話をしながら買い物をする。
そうすることで、最近○○さん見てないね。
という会話も出て、高齢化社会にはマンパワーによる
自然な『見守りシステム』が、必須なのでは。